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大阪高等裁判所 昭和60年(う)169号 判決 1988年12月21日

本店所在地

大阪府堺市北野田五二番地の一

有限会社ハマ

(右代表者代表取締役 濱屋勉)

本籍

大阪府羽曳野市はびきの三丁目三一五番地

住居

同府藤井寺市小山藤の里町三番二二号

会社役員

濱屋勉

昭和七年一二月二八日生

右両名に対する各法人税法違反、濱屋勉に対する所得税法違反各被告事件について、昭和五九年一〇月二六日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、いずれも原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 谷本和雄 出席

主文

原判決中被告人濱屋勉に関する部分を破棄する。

被告人濱屋勉を懲役一年六月及び罰金一六〇〇万円に処する。

被告人濱屋勉が右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

被告人濱屋勉に対し、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は、原審相被告人有限会社ハマと連帯して被告人濱屋勉の負担とする。

被告人有限会社ハマの本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人両名の弁護人西博生作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官谷本和雄作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、各事実誤認の主張について

論旨は、原判決には、次の諸点で判決に影響を及ぼすことが明らかな各事実誤認があり、破棄されるべきであるというので、所論に従い以下順次判断する。

1  被告人両名に対する法人税法違反について

(一)  簿外店舗による所得の帰属について

所論は、本件において簿外店舗の所得は、いずれも被告人有限会社ハマ(以下被告会社という)に帰属すべきものであるところ、これらを被告人濱屋勉個人に帰属すると認定した原判決は事実を誤認しているというのである。

ところで、原判決は、「被告会社の公表店舗以外の店舗は、被告人濱屋個人の単独又は岩本との共同店舗と解するのが相当である。」と判示し、所論の簿外店舗の収益は被告会社の法人税の対象から除外していることが明らかであるから、これを逆に被告会社の収益であると主張することは、被告人濱屋の個人としての収益の多寡とうらはらの関係があるとはいえ、法人税法違反の観点でみる限り、被告人両名にとって不利益な申立であり、その控訴趣意は主張自体で理由がない。

しかしながら、所論は、実質的には被告人濱屋個人の所得税法違反に関する主張を含むものとも解されるので、検討するに、この点については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の中の「三 所得の帰属について」において詳細説示したうえ前項の結論を認定しているところ、その判断は相当であり、理由説明部分も含めて肯認するに十分である。

所論は、税法上の所得の帰属は実質的に判断されなければならないところ、被告会社の店舗として公表した四店舗とそれ以外の簿外店舗との差は、公表されているか否かの違いがあるだけで、もともとは、これら簿外店舗は、公表店舗及び既設簿外店舗の営業収益を再投資して増していったもので、収益金の管理、費消が全く混同されて行なわれ、営業、売上金の集金、利益金の計算等の方法はもちろん給与システム等が同一で、従業員の相互派遣を行うなど組織、人事面でも同質性がみられ、被告人自身も両者の間に法人、個人の区別があることを認識しておらず、これら店舗は全て被告会社に属するものと考えるのが自然であって、その営業収益は被告人濱屋個人の所得税法違反の対象となる所得には帰属しないというのであるが、この点に関し原判決が列挙する各事情、とりわけ、被告人が公表店舗を法人化した動機や簿外店舗についての認識につき捜査段階で行なった各供述の内容、すなわち、被告人が公表四店舗だけを会社組織に切り替えたのは、公表四店舗は、開設が古く、既に確定申告を被告人濱屋名義で行なっていてこれを隠すわけにもいかないところ、税務対策上はこれらを法人化した方が有利なためであり、他の簿外店舗は、従業員名義で開設していて、被告人濱屋の氏名が表面に出ておらず、また新規店舗を開設する資金を自由に調達するためにも被告人濱屋個人の隠し店舗にしておく方が得策であったため法人化しなかった旨説明したうえ、検察官に対しては、簿外店舗は個人のものでなく被告会社の隠し店舗ではないかと質問されてわざわざこれを否定し、これら店舗が個人のものであることははっきり区分して認識している旨述べていることなどに徴すると、被告人としては、むしろ意識的に簿外店舗を個人資産として残し、確定申告を他の個人名義に偽ることで脱法的に税負担の軽減を図ったことが明白であり、その目論みがはずれた段階で今度は簿外店舗は被告会社のものと言い変えるような御都合主義が通用するはずもない。

所論が指摘する公表店舗と簿外店舗との同一性、類似性は、被告人濱屋が公表店舗を法人化したのちも個人事業同然の支配力、影響力を行使していた実態を示すものといえても、これをもって逆に簿外店舗が被告会社に属する根拠とすることはできない。

右簿外店舗の収益を被告人濱屋個人の所得とみなした原判決の事実認定に所論のような誤りはない。

(二)  被告会社の簿外交際費について

所論は、被告会社の簿外交際費について、原判決は、収税官吏の被告人に対する昭和五八年六月三〇日付質問てん末書を証拠として挙示しているところ、それには、被告人が、「手持ちのポケットマネーから従業員の飲食代として一回約三万円、一店舗で年間三、四回を支出する。」旨述べられており、従って四店舗分合計で年間約三六万円ないし四八万円の簿外交際費が存するのに、これを看過した事実誤認があるというので、検討するのに、なるほど被告人は右てん末書では所論同旨の供述を行なっているが、更にその後のてん末書においては、従業員に対して支払った飲食代をすべて被告人濱屋個人が支払ったように説明していたのは間違いで、時々は店の金から支払った分もあり、これを除けば従業員会食費は多くとも月額二万円(年額二四万円)である旨従前の供述を改め、その他の簿外交際費(中元、歳暮、謝礼金)とともに査察官の調査書に計上されているその数額を確認しているのであって(同年一〇月一一日付、同月一七日付各質問てん末書、同月一四日付査察官調査書)、後者の供述の方がより信用できるものとしてこれに基いて簿外交際費を算定した原判決の認定には誤りはない。

2  被告人濱屋に対する所得税法違反について

所論は、原判決が認定する事業主貸勘定のうちの衣服家具代、旅行費用、義母小遣い、子供小遣い、本人小遣い、土地の各費目及び保証金、借入金についてそれぞれその算定金額に誤りがあると主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するのに、後記のとおり衣服家具代及び子供小遣いの各金額について一部認定を相違する以外は、いずれも原判決の認定金額を肯認するに十分であり、原判決が(弁護人の主張に対する判断)としてそれぞれ説示する理由も、当裁判所が付加する説明も加えて相当と認められるので、以下順次その判断を示す。

(一)  事業主貸勘定について

(1) 衣服家具代について

所論は、原判決は、衣服家具代について各年度二〇〇万円の出費があったと認定しているが、被告人濱屋は収入のある妻久美子と同一世帯で双方がその生活費を負担し、その額は通常月五〇万円、場合によっては六〇~八〇万円を支出していて日常的な衣類や家庭用品などはその中で賄っており、それ以外に特別に高額な出費は存しないというけれども、被告人濱屋は、捜査段階の各質問てん末書において、衣服家具など高価な買物代は生活費とは別に各店舗の収益から妻に手渡していたことを供述し、妻久美子も収税官吏に対して同旨を述べているのであって、被告人濱屋が起訴対象の各年度に本来の生活費以外に相当額の衣服家具代を出費していたことに疑いはなく、その額も、平均的な一般家庭より豊かな生活レベルであったことを自認している被告人濱屋の家計の中で決して少なからざるものであったことは容易に推認され、預金の出入れ等に具体的にその出費の根跡を知ることができないとはいっても、本件のように簿外店舗の収益を自己の公表所得から除外して私していた被告人濱屋の生活態度からみると格別異とするには足らず、これら出費が皆無だったとする同被告人の公判供述が信用できないのはいうまでもない。

しかしながら、その金額を各年度二〇〇万円であったとする点については、被告人濱屋が収税官吏に進んで供述するところとはいっても、供述は極めて概括的、抽象的で具体性に欠け、調査側の追及、吟味も不十分で、これを現実に裏づけるに足る高額商品の購入事実が証拠上明らかにされていない(原判決が根拠とする内見恭介作成の査察官調査書によってもこの点は不明である)一方、被告人濱屋自身捜査段階で右衣服家具代と本人小遣いによる購入商品の区分がしかく厳密には意識されていなかったふしも窺えることからすると、通常の家庭生活に照らして多額に過ぎると見られかねない前記金額の正確性には疑いがないとは言い切れず、直ちに右被告人濱屋の捜査段階供述に依拠して各年度の衣服家具代を二〇〇万円と認定することは困難である。

とはいえ、記録上明らかな被告人濱屋の野放図かつ贅沢な生活態度や金銭の費消の仕方、一般家庭よりかなり高い同被告人方の生活レベル等を参酌し、また、同被告人が起訴年度ではないとはいえいっときに電気製品代として一〇〇万円を支出したときもあると述べていることなども併せ総合的に勘案すれば、具体的に正確な金額を算定する根拠のない本件においても、各年度平均の衣服家具代としては少なくとも一〇〇万円を下らないものといえるのであって、結局実額を超えない被告人濱屋に有利な算定として同額を認定するのが相当である。

(2) 旅行費用について

右につき原判決が各年分一〇〇万円を認定したのは、被告人濱屋の捜査段階での供述によるものであるが、年二回の正月と盆の慣行的な家族旅行の費用(土産付き)の総額を述べたその供述の信用性に疑問を抱かせる事情はなく、判断は相当である。

所論は、旅行費用として実際に要した費用は一回三、四〇万円で各年分では六〇万円ないし八〇万円が正しく、捜査段階で被告人濱屋はそれを経費として認めてもらえると誤解して多いめに供述したものであるというのであるが、これが容れられないことは原判決説示のとおりである。

(3) 義母小遣いについて

原判決は、検察官が被告人濱屋の供述を基に各年分の義母小遣いを九〇万円と主張するのに対し、義母自身にアパート収入があり、また同被告人の妻久美子から月二万円の小遣いも受け取っていることなどから同被告人の供述は不自然なものとみ、結局、ハーマ美容の売上帳(昭和五九年押三七八号の六)の記帳内容を解釈して義母小遣いを年額平均三六万円と認定しているのであるが、右被告人供述の信用性についての判断及び売上帳の記帳内容の解釈の仕方はいずれも合理的で納得が得られるものであり、その結論は正当なものとして首肯することができる。

所論は、被告人濱屋は、義母に対しハーマ美容の売上及び自分のポケットマネーから小遣いを渡していたが、前者は前記売上帳にマスター(おばあさん)と記入してある分に限られるのであり、これに後者のポケットマネー分年間九万円として合算すれば、義母小遣いの実際は、昭和五五年分九万円、昭和五六年分二二万円、昭和五七年分一三万円に過ぎないのに、原判決は、前記売上帳のうち、 マスター(おばあさん)という記入分にとどまらず単にマスターとのみ記入している分も含めて原判示金額を算定しており不当であると主張する。

しかしながら、被告人濱屋は、収税官吏の質問に対し、義母に対してはハーマ美容から月一〇万円位までの現金を小遣いとして出金していて、前記売上帳にはそれをマスター(おばあさん)又はマスターと記入してある旨答えており、右売上帳の記載をしていた平本安恵も、質問てん末書や原審証言で、二万円ないし五万円を時々義母に渡してその旨売上帳に記載したことを認めている一方で、被告人濱屋が新店舗開設のためその近くのアパートに泊り込んで陣頭指揮に没頭していたはずの期間においてでさえ右売上帳に単なるマスター名義の小額金銭の出金がかなりの頻度で記入されていることなどに徴すると、ハーマ美容の右売上帳にマスター(おばあさん)と記入されているものだけが義母の小遣いに限られるのではなく、単にマスターとのみ記入している出金の中にもそれが混在しているものと推認され、これを区別するため原判決が設けたような被告人濱屋の捜査段階の供述より内輪の基準(一〇万円未満の出金分に限定)に従って低目の金額を認定することは十分合理性を有するものであり、これを否定する主張はとうてい採用できない。

(4) 子供小遣いについて

原判決は、子供小遣いとして検察官が主張するとおり各年分五〇万円を認定するのに対し、所論は、事実は一〇万ないし二〇万円に過ぎない旨主張して争うのである。

この点については、被告人濱屋は、昭和五八年六月三〇日付質問てん末書で、子供一人の小遣いと買物代として年間約五〇万円を出費していた旨供述し、原判決は、同供述が、関係証拠によって認められる同被告人の長男雅之及び長女和美の起訴対象年度の期間における身分や収入の有無、妻久美子から子供らに支給される小遣いの額や時折雅之からは別途無心があって応じていた事情等を参酌して信用できるものとして、各年分同額の子供小遣いを支給していたことを認定しているが、雅之が昭和五七年一月ころ以降被告人濱屋経営の天王寺美容に正式に稼働して定収入を得るようになった以前の分(昭和五五年分、五六年分)については、供述は合理的であって概数とはいえ進んで被告人濱屋が申し述べた金額を否定する理由はなく、格別の証憑根拠もなくてこれを否定する被告人濱屋の原、当審公判供述や妻久美子及び雅之の当審各証言は措信するに足りない。

しかしながら、原判決は、雅之が天王寺美容で働き出すまでの間は定収入がなかったことを前提に同人が父である被告人濱屋に相当額の無心を行なっていたであろうと推論して前記小遣い額を認定しているところ、前記のとおり、雅之は昭和五七年一月ころから定収入を得るようになり、その額も月収一五万円を得ていたことが証拠上明らかであるから(原判決も昭和五七年中に同人に支払った給与総額一八〇万円を事業主貸として認定している。)、この事実を考慮すれば昭和五七年分の子供小遣いを従前どおり年額五〇万円と認定するのは不合理であり、それでも同人に対する小遣いがとたんに皆無になったとみるのは必ずしも実状にそぐわないとは思料されるものの、他に具体的な算定資料を持たない本件では最も被告人に有利な計算として同年中の雅之に対する小遣い分はほとんど零とみなすこととし、結局、同年分子供小遣いは、和美に対する分を主体として少くとも年額一二万円(月一万円)と認定するのを相当とする。

なお、妻久美子及び雅之は当審公判において、雅之が天王寺美容で働き出す以前においても「理容店ヤング」や「匠家具店」に勤務して収入を得ていた旨証言するのであるが、確たる裏づけもなく当審で始めて主張する具体性のない供述を直ちに信用するわけにはいかず、せいぜいアルバイト的な収入が多少あったものとしても、被告人濱屋が捜査段階で是認した小遣い額を左右する程の影響を及ぼす事情とはみなし難い。

以上、子供小遣いに関しての原判決の認定は、昭和五五年分、五六年分について相当であり、昭和五七年分については前記認定の限度で誤りがある。

(5) 本人小遣いについて

所論は、本人小遣いは各年分年間三六〇万円に過ぎないのに、原判決は判断を誤りこれを年間一、二〇〇万円と認定したと主張し、その理由として、起訴対象年度の三カ年は、被告人濱屋が、次々に新店舗を開設して仕事に没頭していた時期であって、私的な旅行を月に何回も行なう時間的余裕はなく、また自己の従業員であった片岡ら三人の女性と親しい間柄にあって特別の出費をしたことはあるがさほど多額のものでなく、その額の実際は同被告人が原審公判もしくは捜査段階当初に述べていたようにせいぜい月二、三〇万円に過ぎず、これをのちに月一〇〇万円も出費したように供述することになったのは、自分の個人的な小遣いも経費に認められるものと誤信して多いめに供述したものである、というのである。

しかしながら、この点に関する被告人濱屋の捜査段階での供述は、旅行(家族、商用旅行を除く私的なもの)、前記片岡ら特別な関係がある女性との交際や遊興に支出した小遣いや贈物、自分自身の高価な買物等に多額の出費を要したことを具体的に一覧表まで添付して説明しているもので、信用性は高く、その小遣いの額が当初供述していた月二〇万円ではなく一〇〇万円であることは、同被告人がわざわざそれが必要経費に含まれないことは分っていると断ったうえで供述変更を行なったもので、所論がいうような誤解があったとは到底考えられず、その供述に基いて本人小遣いを各年分一二〇〇万円(月額一〇〇万円)と認定した原判決に事実の誤認はない。

(6) 土地について

所論は、昭和五八年八月一一日購入の土地代金のうち一六〇万円は片岡笑香が支出しているのに、右土地取得価格一一六四万四、〇〇〇円全額を事業主貸に計上して右一六〇万円を控除する会計処理を行なっていないのは不当であるというのであるが、記録によれば、対象土地の取得価格は一三二四万四六〇〇円でそのうち片岡が負担した一六〇万円を除外して被告人濱屋が支出した土地代金一一六四万四〇〇〇円(端数切捨て)を事業主貸勘定に計上したものであることが明白で、所論は誤解に基くものであり、理由がない。

(二)  保証金について

所論は、被告人濱屋と岩本省吾の共同店舗「理容オリンピア」の賃貸借契約で差入れられた保証金六〇〇万円は、解約の際にその二割の一二〇万円を返還しない旨の合意がされていたので、起訴対象各年とも保証金としてはこれを控除した残額四八〇万円(同被告人分としては二四〇万円)とすべきであるのに、原判決はその点を看過している、というのであるが、当該賃貸借契約(内野恭介の査察官報告書添付の契約書参照)によれば、右保証金は契約期間満了又は合意解除の場合には全額返還し、借主側の都合で期間満了前に解約した場合には二〇パーセントないし三〇パーセントを返還しない旨の約定であったことが明らかであり、解約前の起訴対象年度においてはいまだ不返還の事実及び額が定まらないのであるからその全額を保証金として計上すべきことは当然であり、右主張は理由がない。(ちなみに昭和五八年五月二五日右賃貸借契約が解約され一〇〇万円が控除されて保証金が返還されたが((池田洋一の同年七月四日付質問てん末書))、これはその年度での損金処理を行なえば足ることであって、本件と関わりはない)。

(三)  借入金について

所論は、被告人濱屋は、捜査段階で、昭和五六年ころ土地の購入代金等として第一勧業銀行藤井寺支店から約一三〇〇万円の借入れがなされている旨供述しているから、これを借入金として計上処理しなければならないのに、原判決はこの点を看過しているというのであるが、記録を精査しても主張にかかる借入れを認めるに足る証拠はなく、類似の借入金として、被告人濱屋が昭和五五年四条畷市の山林取得費用の一部に充てるため同年八月一九日第一勧業銀行藤井寺支店を通じ(株)ローンサービスから一五〇〇万円を借入れ支払ったものがあるが(同被告人の昭和五八年七月六日付、一〇月一一日付各質問てん末書)、これは昭和五五年分借入れとして税務計算上の処理はなされており(冒頭陳述書添付の調査実績報告書参照)、いずれにしても原判決に所論指摘のような誤りはない。

以上のとおりであって、被告人両名に対する法人税法違反についての事実誤認の論旨は理由がなく、被告人濱屋の所得税法違反については、前記のとおり、(一)事業主貸勘定のうち、(1)衣服家具代(各年分)及び(4)子供小遣い(昭和五七年分)の各項目につき原判決に事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるところ、同被告人の法人税法違反の事実も併合罪の関係にあって一個の刑で処断された場合であるから、原判決中、同被告人に関する部分はその全部が破棄を免れない。論旨は理由がある。

二  控訴趣意中、量刑不当の主張について(被告会社に関してのみ)

論旨は、原判決の量刑不当を主張し、要するに、被告会社に科した罰金三〇〇万円は多額に過ぎるというのであるが、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するのに、本件犯行の罪質、態様、ほ脱の手段、方法、ほ脱金額、ほ脱率等、とりわけ、被告会社は起訴対象の三年間を通じて相当の収益を上げながらこれを偽って欠損申告を行なって税を免れていたことなどに徴すると、犯情は軽視できないものがあり、原判決の罰金額が重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、原判決中、被告人濱屋に関する部分は、刑訴法三九七条一項、三八二条によりその全部を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、同被告人に関する原判示事実中、第二の一、二、三の各実際所得額、正規の所得税額を別紙一のとおり改め(これに対応する原判決添付の別紙(六)ないし(九)の修正貸借対照表等及び税額計算書を本判決添付のものに差し換える。)たものに原判示各法条を適用し、被告会社に関する本件控訴は同法三九六条によりこれを棄却することとし、それぞれ主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村清治 裁判官 瀧川義道 裁判官濱田武律は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 西村清治)

別紙一

<省略>

別紙(六)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和55年12月31日現在

<省略>

修正損益計算書(総所得)

自 昭和55年1月1日

至 昭和55年12月31日

<省略>

別紙(七)

税額計算書

<省略>

別紙(八)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和56年12月31日現在

<省略>

修正損益計算書(総所得)

自 昭和56年1月1日

至 昭和56年12月31日

<省略>

別紙(九)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和57年12月31日現在

<省略>

修正損益計算書(総所得)

自 昭和57年1月1日

至 昭和57年12月31日

<省略>

○控訴趣意書

昭和六〇年(ウ)第一六九号

被告人 有限会社ハマ

同 濱屋勉

右被告人両名に対する法人税法違反被告事件、濱屋勉に対する所得税法違反各被告事件について、弁護人は次のとおり控訴理由を述べる。

昭和六〇年四月二五日

右被告人両名弁護人 西博生

大阪高等裁判所第三刑事部 御中

控訴理由

一、原判決は次の諸点において事実誤認の違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、破棄されるべきである。

1、被告人両名に対する法人税法違反被告事件に関して

(一)、原判決は、簿外店舗による所得をいずれも被告人濱屋勉(以下被告人という)に帰属するものと認定したが、これらはいずれも被告法人有限会社ハマ(以下被告法人という)に帰属すべきものであり、右の判断を誤った点において、事実誤認が存する。

(1)、すなわち、税法上所得の帰属、言い換えると収益の実質的な享受者を確定するにあたっては、当該事業の出資の状況、営業形態、収益金の管理、費消の実態、経営者の認識等の事情を勘案して決定せねばならない。

本件については、被告人が昭和三六年一〇月から理美容店を開業して以来次第に店舗数を増やしていき、昭和五三年一二月には被告法人を設立するに至ったが、その際、被告人の主要店舗であったスーパー理容富田林とスーパー美容富田林の二店を被告人の妻濱屋久美子の経営する有限会社富に帰属させて被告人から切り離すとともに、残余の店舗のうち、同じく主要店舗であった理容スーパー北野田、美容スーパー北野田、理容スーパー白鷺、スーパー美容白鷺の四店舗のみを税務対策上、形のうえで被告法人の店舗として公表したものの、当時存した残りの店舗はこれを公表せず簿外の店舗とし、その後は、被告法人の公表店舗及び簿外店舗の営業によって得た収益を再投資する形で次々に新店舗を設立していき、その結果、昭和五四年から昭和五七年にかけて被告法人の経営していた店舗は公表店舗が右四店舗、簿外店舗が岩本省吾との共同経営のものを含めて四〇店舗に達するに至ったものである。かようにして設立経営されている右公表店舗及び簿外店舗はいずれも被告法人の経営もしくは被告法人と岩本省吾との共同経営にかかるものであり、従ってこれら店舗の営業から生じる収益は全て被告法人に帰属するものである。

というのは、原審で取り調べられた関係各証拠を総合すると、被告法人の店舗とされた四店舗とそれ以外の店舗との間においては、公表されているか否かという点に違いが存するものの、それ以外の点をみれば、収益金の管理・費消が全く混同して行なわれていること、営業方法が同一であること、売上の集金方法、利益金の計算方法、給与システムが同一であること、従業員の相互派遣が行なわれたり主任の任命は全て被告法人の代表者である被告人が行っており、組織人事面における同質性がみられること、被告人の認識においても一方は法人に属し他方は個人に属するといった認識はなく、四店舗以外の店舗も四店舗で儲けた金を基礎に次々に増やしていったものだから四店舗と同一に扱われるべきものであるという認識であったこと等、いずれの点をとっても両者に違いは存せず、結局、これら店舗は全て被告法人のものと考えるのが自然であり、従ってまたこれらの店舗の営業によって生じた収益は、実質的にみて全て被告人法人に帰属すると考えるべきだからである。

(2)、これに対して原判決は、これら所得を被告人個人に帰属せしめているのであるが、その理由としては、岩本省吾との共同店について関係書類が被告人個人名義で作成されていること、被告法人設立前の共同店について契約関係の変更がされていないこと、右岩本の認識、店舗の譲渡が被告人名義でされていること、被告法人以外の店舗については会計帳簿がなく、他人名義の虚偽の確定申告書が提出されているにすぎないこと及び捜査段階における被告人の認識を挙示している。

(イ)、しかし、岩本省吾との関係について言えば、そもそも法律的素養に欠ける両名の間で、個人と法人の法的区別が明確に認識されていたか否かという点には多大の疑問点があるのであり、書類の作成名義人や契約関係の変更といったことが意識して行なわれていた、もしくは行なわれるべきであったとは到底考えられない。従って、原判決の挙示するような事実があるとしても、これによって直ちに所得の帰属を左右する根拠とはなり得ないはずである。見方を変えて言うと、原判決の指示している事実関係は単なる法的形式の問題に過ぎず、税法における所得の帰属を判断する十分な根拠となり得ない。税法における所得の帰属の判断はより実質にそくしてなさねばならない。店舗譲渡における名義人の問題についても同じ理由により根拠とならない。

(ロ)、また、会計帳簿がないことは、被告人が四店舗以外の店舗を簿外店舗としようとした以上むしろ当然のことであり、脱税が企図されている以上、たとえこれらの店舗が被告法人の簿外店舗であったとしてもそれらの店舗にことさら会計帳簿を備えないことは十分考えられるのであり、会計帳簿があるか否かは、それらの店舗が法人のものであるか個人のものであるかとは無関係である。

(ハ)、また、他人名義による確定申告がなされている点は、一見すると被告人がこれらの店舗を個人店舗として意識していたかのように見られるが、そもそも被告人は、四店舗以外の店舗については全く売上を申告する気がなかったものであり、であるからこそ被告法人の会計帳簿にもこれらの店舗の売上げを全く計上していなかったものであり、従ってこれらの店舗の売上については、法人税としての確定申告を全く行わないことがむしろ自然である。しかし、これらの店舗の存在自体は隠せない事実であるために、被告人は止むを得ず従業員等の名義を借りて確定申告をしていたのであり、これは必ずしもこれら店舗を個人店舗として届出ようとした趣旨ではない。かような事情からすると、確定申告書の名義が他人名義とされていることも所得の帰属を決定するについて十分な根拠とはならない。

(ニ)、次に被告人の認識の点であるが、被告人の法廷における供述で明らかなように、捜査段階においては被告人は十分な考慮もないままに誘導的に供述をとられていったものであって、特に所得の帰属といった高度に専門的な質問について、被告人が内容を十分に理解して供述したものとは到底考えられない。従って、所得の帰属に関する捜査段階の被告人の供述をあまり過大に評価することは危険であり、むしろ、脱税査察を終え、冷静に防禦権を行使し得るようになった公判段階における供述により重点を置いて判断するのが妥当である。

(3)、以上のように原判決が挙示する各理由はいずれも十分な理由とはなり得ないものであり、所得の帰属に関する原判決の判断には誤りがある。

(二)、原判決には、被告法人の簿外交際費について、収税官吏の被告人に対する昭和五八年六月三〇日付質問顛末書を証拠として挙示しながら、同質問顛末書から認定することのできる簿外交際費を看過した事実誤認が存する。

すなわち、同質問顛末書問九においては、被告人が、「手持ちのポケットマネーから従業員の飲食代として1回約三万円、一店舗で年間三~四回支出する。これはハマの帳簿には記帳されていない。」と供述しているが、この種の支出は法人税算定の場には、接待交際費として計上されるべき支出である。

原判決が認定した簿外交際費は、同被告人が支出した従業員に対する中元、歳暮の出費、主任らとの月一、二回の会食費、昭和五七年四月の税務調査の際支払った立会料、お礼の飲食であるが(収税官吏斎藤毅の昭和五八年一〇月一四日付、同月一八日付各査察官調査書)、これらの支出と前記の支出との間に交際費としての性質上差異はないはずであり、しかも認定された簿外交際費の中には被告人の供述のみに基づいて認定されているものもあるのであって、証拠の評価から言っても前記支出のみを特に簿外交際費から除外すべきいわれはない。

以上のように被告人の供述によれば、起訴にかかる各年度について、一店舗あたり年間約九~一二万円、四店舗合計で年間約三六~四八万円の簿外交際費が存したものである。

2、被告人に対する所得税法違反被告事件に関して

(一)、事業主勘定のうち衣服家具代について

原判決には被告人の事業主勘定のうち衣服、家具代について、事実は各年度についてこうした出費はなく、従ってかかる科目を計上すべきでないのに、判断を誤り、各年度について二〇〇万円の出費ありと認定して、これを事業主貸勘定に計上している点に事実誤認が存する。

(1)、原判決がその理由とするところの一は、被告人の「このような出費は全く存しなかった。」との法廷供述について、このような出費が全く存しないのは不自然であり、収税官吏の濱屋久美子に対する昭和五八年一〇月一四日付質問顛末書に照らして信用できない、というものである。

しかし、右のような判断は証拠の評価を誤っているといわざるを得ない。むしろ、右各証拠と収税官吏の被告人に対する昭和五八年六月三〇日付、同年九月二〇日付、同年一〇月二九日付各質問顛末書を詳細に読み取り、合理的な経験則を加えれば、被告人の法廷供述には十分な合理性が認められるのである。

(イ)、すなわち、被告人は濱屋久美子と同居して同一世帯を形成しているものであり、両名共に収入があるため、両名がいずれも生活費を負担している。生活費の負担額は被告人が月に一〇万円、同女が有限会社富の給料から月四〇万円、その他に不足する場合には同女が月一〇~三〇万円ヘソクリから支出する、とのことである。また、同女の供述によると「夫婦で旅行に行ったり、金額の張る大きな買物をしたりする時は被告人が出す。」のである。これによると、被告人らの家庭の月々の生活費は通常五〇万円、場合によっては六〇~八〇万円ということになるが、被告人らには持家があって賃料の負担がないこと、持家のローンは昭和五五年には終わっており、生命保険料や車のローンも店の売上げ(実質的には被告人の収入)から支出されていてこれらの経費は右の生活費の中に含まれていないことを考えると、右の生活費の金額は一般家庭に比して相当多額なものである。かような生活費を前提ににすると、家族が生活するに必要な日常的な衣類や家庭用品の出費は当然右の生活費の中に含まれていると考えるのが自然である。また、同女が個人的に必要とする衣類についても、同女が相当額の収入のある主婦であること、時には生活費の他に月一〇~三〇万円の出費をすることがあることを合わせ考えると、特別高価なものは別として、特に被告人にその費用を負担させていたとは考えられない。

とすると、被告人の事業主貸勘定として「本人小遣い」や「生活費」と区別して計上される「衣服、家具代」の範囲は、日常の生活費で賄われない特別の出費で高額なものに限定されるべきであろう。

(ロ)、これを本件についてみるに、同女は「金額の張る大きな買物」を被告人に出費してもらったと供述している。しかし同女は、起訴年度とされている昭和五五年から昭和五七年の間にかような金額の張る大きな出費をしたか否かについて、何ら具体的な供述はしていない。証拠上右のような特別の出費について具体的な供述がみられるのは、収税官吏の被告人に対する昭和五八年九月二〇日付質問顛末書の問一三において、レザーコート代として昭和五六年一二月に天王寺美容の売上代金から三〇万円を支出したという個所と、問一八において昭和五八年八月頃、被告人が同女に冷蔵庫や洗濯機の購入代金として一〇〇万円を渡したという個所の二個所に過ぎない。

しかし、後者の供述については、昭和五八年のことであって起訴年度からはずれていて無関係であるし、しかも被告人の法廷供述によれば、たまたまその時は古くなって冷蔵庫や洗濯機を新しいものに買い替えたのであって、特別の場合であったことが明らかであり、さらに、電気製品の耐用年数から考えると、昭和五八年にかような出費がなされれば、逆にそれより以前の三年間の間に、毎年連続して同様の出費があるとは考えられないということを推認させるものである。また、社会通念上からみても、電気製品といってもかなり高額なものでも二〇~三〇万円程度で買えるものがほとんどであり、仮にかような物を購入したとしても三年間通じて何回もこのような買物を行ったと考えるのは不自然であるし、金額的にみても年に二〇〇万円といった多額な出費を裏付けることは困難である。

また、前者の供述であるが、レザーコートというのは、被告人の法廷供述によれば、江南美容の家主が毛皮屋をしていて、義理で購入したものに過ぎないのであり、これも特別の理由に基づいた臨時の出費であって、この供述があるからといって同様の出費を毎年していることにはならない。

いずれにしても、「衣服、家具代」として被告人の供述に基づき、毎年二〇〇万円が認定されているのであるが、具体的にどのような形でこれらの費用が支出されているのかについては何ら供述が存しないのである。

(ハ)、さらに言えば、「衣服、家具代」として考えられる出費としては、応接セットや調度品等の家具もあり、これらの中には数十万円の高価なものもあるから、もしこうしたものが購入されたのであれば年間二〇〇万円の出費を合理的に裏付けることも可能である。しかし、かような高価な家具は毎年定期的に購入されるものではなく、特別の必要に基づいて購入されるものである。しかるに、被告人及び同女の供述の中にはこうした特別の必要性を窺わせる供述はない。また、こうした高価なものなら購入した事実、年月日、価格を記憶しているのが普通であるが、右両名いずれの供述にもそういった点に関する供述がないのでは、むしろそうした高価な家具類の購入がなかったとみるほうが自然である。

(ニ)、また、高価な衣服に対する出費も考えられるが、前記のレザーコートに対する出費は別として、それ以外には被告人の供述中に、衣服に対する具体的な出費の供述は存しない。もっとも、収税官吏の被告人に対する昭和五八年九月二〇日付質問顛末書問一五においては、被告人が高級な洋服を購入していたとの供述があるが、これは事実に反する虚偽の供述である。被告人の普段身につけている衣服は法廷供述に明らかなように、背広等も既製品であり、安物に過ぎない。また、同女供述中にも「金額の張る大きな買物」を被告人に負担してもらう、との抽象的な内容の供述はあるが、具体的に衣服について特別の出費をしてもらったとの供述は存しない。

(ホ)、以上いずれの面からみても「衣服、家具代」として毎年二〇〇万円もの出費があったことを合理的に説明する供述は何ら存しない。むしろ、前記のような被告人と同女との生活実態からみて、被告人の法廷供述のように、かような出費は昭和五五年一月から昭和五七年一二月までの三年間には全くなかったとみるのが合理的である(レザーコートに対する出費は本人小遣いとしての出費と評価すれば足りる)。

(2)、また、原判決は、理由の二として、収税官吏の中山信子に対する昭和五八年六月一三日付質問顛末書及び収税官吏内野恭介作成の同年九月三日付査察官調査書をも証拠として挙示する。

しかしながら、前者は、被告人が住友銀行天王寺駅前支店の竹下登名義の普通預金口座から個人的に「時計代」「服代」「印鑑代」といった名目で出金していることを示す供述に過ぎず、それ以上に具体的にいつ、どの程度の金額が何という名目で出金されたかといった点を明らかにする証拠ではない。また、後者において、各店舗についてローン、クレジットの返済のための銀行口座が設けられていることが、「衣服、家具代」を認定する根拠とされたかと思料されるが、これらのローン、クレジットというのは、被告人の生命保険料や濱屋雅之その他の名義による車のローン代金の支払い(収税官吏の昭和五八年一〇月二九日付質問顛末書)を除いて他は、各店舗の営業用品に関するローン、クレジットであって、被告人の個人的な買物に関するそれではない。従って、これを本問題を根拠づける証拠として挙示するのは不適当である。

以上のように、原判決が挙示する右両証拠も原判決の認定を理由づけるものとはならない。

(3)、以上により、「衣服、家具代」について、原判決には事実誤認の存することが明らかである。

(二)、事業主貸勘定のうち旅行費用について

原判決には、事業主貸勘定のうち「旅行費用」について、事実は、各年度について六〇~八〇万円程度であるのに、その判断を誤り、各年度について一〇〇万円と認定してこれを事業主貸勘定に計上した点に事実誤認が存する。

(1)、旅行費用として計上可能なのは、被告人が妻久美子や岩本省吾夫妻その他の人と共に毎年盆と正月に各一回ずつ家族旅行をした際の費用であるが、被告人がこれに出費する費用は、一回の旅行に要した総費用を参加した人数で頭割りにし、自分たちに関係する人間の分を負担するものである。これらの費用は一回について三〇~四〇万円程度であり、従って年間を通じて六〇~八〇万円程度に過ぎなかったのである。

(2)、これに対して、原判決は各年度について一〇〇万円の出費があったと認定しているが、右認定を導くにあたって、被告人の法廷供述を金額の点が不明確であるとの理由で排斥し、収税官吏の被告人に対する各質問顛末書を信用できるものとしている。

(イ)、しかし、被告人の法廷供述における金額が明確でないのは、起訴にかかわる各年度中に行った旅行について、出費明細を記載したノートやメモの類が残っていないこと、被告人の金銭の使い方にはルーズな面があったために、法廷において旅行に限定して出費関係の質問を受けてもすぐに記憶が戻らず、十分な供述ができなかったこと、によるのであって、特に不自然なことではない。金額のより詳細な点については、昭和五五年から昭和五七年にかけて行った旅行の行先、人数、旅程等の具体的な点について記憶が戻れば、ある程度これを明らかにすることは十分可能である。また、金額の供述のあいまいさという点では、捜査段階における供述も年間一〇〇万円といった漠然としたものに過ぎないという意味において同様であり、さらに言えば、「衣服、家具代」や「本人小遣い」といった他の勘定科目の金額に関する供述も極めて大ざっぱで不明確なものに過ぎないのであるから、特に被告人のこの点に関する法廷供述のみをとりあげて、その信用性を排斥するのはおかしいと言わねばならない。

(ロ)、また、旅行費用を実際より多目に供述した理由について、被告人は、それが経費になると考え、売上げに見合うだけ経費を多目に言っておいたと供述しているが、これを原判決はたやすく借信しがたいと言う。

しかしながら、被告人は中学卒業の学歴を有するのみでその後は専ら理容、美容拡張に務めてきた者であること、税務申告についても竜見税理士に任せたきりで自らは何らの税務処理もしていないこと、他方において、売上げや給料を二分の一に圧縮するといった幼稚な脱税のテクニックは知っているものの、それ以上に会計、税理的知識は有していないこと、一般の商売人、事業者においては、前記のような衣服、家具代を含め、家族の旅行費用といった営業とは直接関係ない個人的な出費も、交際費、福利厚生費といった名目で経費にして申告する例は顕著であること(むろんそれが税務当局によって認められるかどうかは別問題であるが)、これらの事情を考えると、税理的知識に乏しい被告人がこうした出費を経費と考えていたとしても何ら異とするにはあたらず、被告人の弁解にも十分な合理性が認められるのである。

(3)、次に原判決は、被告人のかような弁解は、収税官吏の被告人に対する同九月二〇日付質問顛末書(丁数一七丁のもの)に照らして借信できないとするが、同質問顛末書における「旅行の際、ホテルからもらった領収証や服代の領収証は経費として認めてもらえないものばかり」との供述は、何を言わんとしているのか必ずしもその意味内容が明らかでなく、被告人の弁解を排斥するほどの証拠とはなり得ない。

(4)、さらに言うと、そもそも、捜査段階において被告人が、自分の個人的な支出を実際より多目に供述しているのは、「旅行費用」の点に限らず、「衣服、家具代」「本人小遣い」「子供小遣い」「義母小遣い」いずれについても同様であって、その理由も被告人が法廷で供述した理由と同様である。しかるに、原審については、これらの供述が虚偽のものであることを物証をもとに明らかにできるのは後記の「義母小遣い」についてだけであったために、原判決はこの点についてだけ被告人の捜査段階の供述を否定している。しかし、被告人が実際の出費より多目に供述した理由は「義母の小遣い」についても同様であるから、この点についてだけ一部被告人の弁解を容れて捜査段階の供述を排斥しながら、他の出費に関しては被告人の弁解を一顧だにせず、一律に信用できないものとして排斥しているのは論旨一貫しないといわねばならない。

所得税逋脱犯の事実認定においては、実存する所得額(実額)を合理的な疑いを容れる余地のない程度に立証する必要があるところ、財産増減法によって所得金額を算出する場合においては、算出金額が実額を上回らない保障を必要とする。かような意味において、被告人に不利益な方向で事実認定をする場合には、被告人の供述内容、供述の関連性、合理性について厳密な論証が要求されるはずであるし、相当程度の補強証拠も必要であると思料されるが、原判決の認定はこれらの点に考慮を払うことなく、安易になされたものと言わざるを得ない

(5)、以上のような次第で、原判決には「旅行費用」の認定において事実誤認が存する。

(三)、事業主貸勘定のうち義母小遣いについて

原判決には事業主貸勘定のうち義母坂本千代子に対する小遣いについて事実は昭和五五年度九万円、昭和五六年度二二万円、昭和五七年度一三万円に過ぎないのに、その判断を誤り、各年度について、三六万円を認定してこれを事業主貸勘定に計上した点に事実誤認が存する。

(1)、原審における関係各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

すなわち、被告人は妻の母坂本千代子にたいしては、ハーマ美容の売上及び自分のポケットマネーから小遣いを渡していたが、その金額はハーマ美容の売上げからは、ハーマ美容の売上帳によれば昭和五六年度には七月二四日二万円、一〇月一九日五万円、一二月七日六万円の合計一三万円、昭和五七年度は一二月一〇日四万円にすぎない。また、証人平本安恵の証言によっても、被告人の捜査官段階における供述のように、義母に対して、毎月一定額のしかも、少なくない額の小遣いを支給していたという事実が存しないことは明らかである。被告人はハーマ美容の売上げ以外に、ポケットマネーからも義母に小遣いを渡していたと法廷で供述しているところ、この分は、被告人の供述によれば年間二、三回程度であり、金額としても多くて一回につき三万円である。従って、最大限でも年間九万円にすぎない。

以上の次第であるから、義母に対する小遣いの支給額として計上し得るのは、昭和五五年度九万円、昭和五六年二二万円、昭和五七年度一三万円にすぎない。

(2)、この点に関し、原判決が起訴にかかる各年度九〇万円という数字を否定したのは正しい。しかし、売上帳(昭和五九年押第三七八号の六)記載のマスター(おばあさん)という部分のみならず、単にマスターとのみ記載してある部分についても、義母に対する小遣いと認めて、各年度三六万円の費用を認めたのは誤っている。

(イ)、すなわち、証人平本安恵の供述によれば、被告人の義母に対する小遣いの出費はハーマ美容の売上げから出金されたこと、同人は出金するたびに必ずノート(売上帳と同じ内容を記入したもの)に記入していたこと、回数は三、四か月に一回位、年間で三、四回、金額的には年間一〇万円以上二〇万円以下であることが認められる。しかるに、判決の認定した事実によれば、売上帳に記帳のあるのは昭和五六年度で、六月二六日二万円、七月一四日三万円、同月二四日二万円、同月二七日三万円、九月七日五万円、同月一六日一万円、一〇月一九日五万円、一二月七日六万円の合計八回、金額にして二七万円、昭和五七年度において、二月一七日三万円、同月二八日五万円、三月六日五万円、同月二九日三万円、四月三日五万円、五月一二日二万円、同月一八日三万円、一〇月九日五万円、一二月一〇日四万円の合計九回、金額にして三五万円である。しかし右平本の法廷における証言内容と対比すれば、原判決のように、これらを全て義母に対する小遣いと認定するのは、回数、金額いずれの点においても多すぎることが明白であり、このような認定は誤っているといわざるを得ない。

(ロ)、次に原判決は、マスター(おばあさん)という記載の部分のみならず、マスターとのみ記載してある部分をも義母への小遣いの出費と認定した理由に収税官吏の被告人に対する各質問顛末書を挙げているが、右各質問顛末書のうちで具体的に被告人が義母小遣いについて供述しているのは、昭和五八年一〇月二九日付の質問顛末書の八丁目表の部分のみである。しかし、ここでは被告人は、右売上帳を示されたうえで、「ハマ美容の売上金から義母に渡した。それがこのノートに書いてある分を含めて、各年九〇万円である。」と供述しているにすぎず、それ以上に記載の仕方についてマスターとするかマスター(おばあさん)とするか、また、右両方の記帳とも義母への出金を意味するものであるのか否かといった点について、何らの供述もしていないのであるから、この質問顛末書をもって、原判決のような認定をする証拠とはなし得ないはずである。

(ハ)、また、念のために収税官吏の平本安恵に対する昭和五八年四月二七日付質問顛末書を検討してみるに、その問一〇において、「売上帳の五六年一〇月一九日の支出明細に、マスター(おばあさん)五〇、〇〇〇と記入されているがこの支出は何か」という問があり、それに対して同人は、「時々久美子さんのお母さんがみえまして…二、三万円とか五万円程度持って行かれます。この支出は領収証がないので毎月の決算月計表の出費欄にマスター○○円と書いて報告する」と答えている。この質疑は、売上帳のうちあくまでもマスター(おばあさん)と記入されているものに限定してなされているものであり、同人の供述もこうした意味において判断せねば不正確である。同質問書において同人は、単にマスターとのみ記載のあるものも、義母への出金であるとは供述していないのであり、むしろこの部分の質疑を裏から読むと、マスター(おばあさん)と記入してあるもののみが義母への出金であるという供述にとれるのである。なお、右供述中、毎月の計算月計表の出費欄にマスター○○円と記入するというのは、本件売上帳とは別の文書における記入の仕方について述べているにすぎず、本問題に関する判断とは無関係に考えてよい。

(ニ)、さらには、被告人の法廷供述や収税官吏の被告人に対する各質問顛末書及び、前記収税官吏の中山信子に対する質問顛末書をはじめ、原審で取調べられた店舗従業員の各質問顛末書によれば、被告人は、ハマ美容のみならず、他の店舗からも自分の小遣い、もしくは店舗営業の経費とするために売上げ金を適宜持ち出していたのであり、こうした場合には売上げノートにマスター○○円と記帳されていたことが認められる。このことと、特にハマ美容において、単なるマスターとの記帳と区別してマスター(おばあさん)との記帳の仕方がされていたことを合わせ考えると、原判決のように両者をいずれも義母に対する出金として考えるのは妥当でなく、むしろ、義母に対する出金が専ら行われる窓口であるハマ美容においては、被告人に渡る出費のうち義母に対するものについて、特にそれ以外のものと区別してマスター(おばあさん)という記帳の仕方で処理されていたとみるほうが合理的である。

(3)、以上述べたような理由により、この点に関する原判決の判断には一部事実誤認が存する。

(四)、事業主貸勘定のうち子供小遣いについて

原判決には、事業主貸勘定のうち子供小遣いについて、事実は各年分について一〇~二〇万円にすぎないのに、その判断を誤り、各年分について年額五〇万円を認定してこれを事業主貸勘定に計上した点に、事実誤認が存する。

(1)、原判決が認めた子供小遣いの内訳は濱屋雅之に対するものと、濱屋和美に対するものの二つである。

(イ)、右のうち濱屋雅之に対する小遣いについて言えば、同人は、昭和五四年三月高校を中退し、昭和五五年三月専門学校を卒業した者であるが、その後の経歴については、原判決の認めたように「昭和五七年一月に天王寺美容に勤務するまでは、他店に勤めたり、ブラブラしていた」というのは正しくない。同人は、専門学校を卒業した後、道頓堀の理容ヤングに勤務し、その後、程なくして昭和五五年一〇月頃から約一年間堺市宿院にある「匠家具」という家具店で車の運転、荷物運びのアルバイトをして月収約一五万円を得ていたものである(なお、同人については止むを得ず原審において取調べを請求することができなかったため、右の事実関係は原審では明らかになっていない)。従って、同人には相当程度に自分の収入があったわけであり、確かに濱屋久美子や被告人から小遣いを無心することはあったにしても、年間五〇万円(月にして四万円以上)に近い多額の小遣いを被告人が独自に右雅之に与える理由は存しなかった。従って、被告人が同人に与える小遣いがあったとしても濱屋和美と合わせて一〇万円~二〇万円の範囲内にあったとみるほうが自然である。

(ロ)、また、原判決は、右雅之が昭和五六年一二月まで定職につかず、定収入もなかったことを根拠として、被告人から、昭和五五年から昭和五七年の三年間にわたって、年間五〇万円近い小遣いを無心していたと認定しているが、他方で、昭和五七年一月以降は同人が天王寺美容で勤務し、月収一五万円、年収一八〇万円を得ていたことを認定している。しかし、昭和五七年一年間に限って言えば、同人が一八〇万円の収入を得ている以上、原判決の言うように、被告人から小遣いを無心する根拠はもはや失われているはずである。しかるに原判決は、この点を全く看過し、過去二年間と同様に、昭和五七年度においても何らの根拠も示さずに、子供の小遣いとして年間五〇万円を認定しているのであり、この点でおいて明らかに、自己矛盾を犯している。

(ハ)、また、濱屋和美に対する小遣いであるが、同女は昭和五八年二月に高校を卒業した者であり、昭和五五年一月から昭和五七年一二月にかけての三年間は中学三年から高校三年にかけての年代であった。このような年代の時に、濱屋久美子からも月七、〇〇〇円の小遣いを得ていることを加味すると、被告人から渡されていた小遣いは多額なものであったとは、到底考えられない。

従って、被告人が与えていた同女に対する小遣いは、右雅之に対する小遣いと合わせて年間一〇~二〇万円を超えるものでないことが明らかである。

(2)、以上のように、子供小遣いの点に関する原判決の判断には事実誤認が存する。

(5)、事業主貸勘定のうち本人小遣いについて

原判決には、事業主貸勘定のうち本人小遣いについて、事実は各年度において、年間三六〇万円にすぎないのに、その判断を誤り、各年度について年間一、二〇〇万円と認定して、これを事業主貸勘定に計上した点に事実誤認が存する。

(1)、昭和五五年一月一日から昭和五七年一二月三一日までの三か年の間の被告人の生活状態をみるに、証人小坂一代、同秋道浩、同長屋一郎、被告人の各法廷供述によれば、その頃は、昭和五四年に八木美容はじめ六店舗、昭和五五年には草津美容はじめ三店舗、昭和五六年には桜井美容はじめ五店舗、昭和五七年には一宮美容はじめ一一店舗と、次々に新店舗ができていた時期であり、月に一~二回松山の店への集金その他の仕事で店を抜けることはあっても、それ以上は全く休みもとらず、毎日出ずっぱりで仕事をしていたものである。

右三か年の間の被告人の生活状態は以上のようなものであり、年間を通じてわずかの日数を除き他は全て仕事のために費やされていたのであるから、収税官吏の被告人に対する質問顛末書(昭和五八年九月二〇日付、同月二七日付)にあるように、「多い時は七、八回、平均して月に五、六回、北海道や九州に旅行する」ことなどできるわけがなかった。

こうした生活状態からみて、被告人の生活は全て仕事中心の多忙なものであり、朝から晩まで毎日仕事をしていて、プライベートな面において月に数回も旅行するなど不可能であったことはもちろん、被告人は趣味やギャンブル等の遊びごとには全く金を使っていなかったのであるから、月に一〇〇万円もの小遣いを使うような生活は送っていなかったのである。

このように、被告人の小遣いとして月々必要としたのは飲食費用、雑誌の購入その他の費用、衣服・靴等の身の回り品の購入費用などにすぎず、月々平均しても二〇万円、多くて三〇万円程度にすぎなかった。従って、年間で多く見積もっても三六〇万円程度のものであった。

(2)、これに対して、原判決は月に一〇〇万円年間二〇〇万円の小遣いを使っていたという収税官吏の被告人に対する各質問顛末書を具体的、合理的であり、信用できるとし、一方、被告人の法廷供述を信用できないとして排斥している。

(イ)、しかしながら、原判決が「被告人は自己の従業員であった片岡、竹村、木村とはいずれも親しい関係にあったのであるか、同女らとの旅行あるいは遊興小遣い等に相当多額の出費をしているものと解するのが相当」としたのは、全くの予断に基づく憶測にすぎず、不当である。かような憶測は証拠を前提とした経験則に基づく合理的な推認とは到底言えないものである。

確かに、被告人が同女らと親しい関係にあって同女らに対し、特別の出費をしていることは事実であるが、だからといって、このことが直ちに被告人が月に一〇〇万円もの多額の小遣いを必要とする根拠となるわけではない。

(ロ)、というのは、まず第一に、被告人が同女と旅行に行って多額の出費をしていたのか、という点についていえば、前記小坂一代らの法廷供述及び被告人の法廷供述によれば、被告人の当時の生活状況からみて、数日間宿泊して新規店舗に不在となるような形での旅行は、時間的にみてとても考えられなかったのであり、ましてや、前記質問顛末書における供述のように、平均して月に五、六回もの旅行をすることは物理的に不可能だったのである。

従って、前記各質問顛末書末尾に旅行日、旅行先等について、あたかも実際に行ったかのごとき詳細な一覧表があるのは、極めて不自然であると言わねばならない。むしろ、もしこの通りに旅行に行っていたとすると、月に一〇〇万円の小遣いでも不足するかもしれないとさえ言えよう。このように原判決は、被告人が当時の生活状況からみて旅行に行けたか否かという時間的、物理的矛盾点に思いを至さず、法廷供述と対比した場合に鮮明となる被告人の右各質問顛末書の供述内容のうちに含まれる不自然さを看過しているのである。

(ハ)、第二に、被告人が同女らとの遊興に出費をしているかについて、確かにそのような推測は可能であるが、この点について、収税官吏の被告人に対する各質問顛末書の供述中には、具体的な遊興の日時、回数、場所、出費金額等について何ら具体的な供述は存しないのであって、遊興が行なわれたことの証拠とはなしえない。従って、これらの証拠をもって、月に一〇〇万円の小遣いの出費の根拠とすることはできない。

(ニ)、第三に、同女らに対する小遣いの点であるが、被告人は右質問顛末書(昭和五八年九月三〇日付)においては、右片岡や右竹村に対して、時々四、五万円の小遣いを与えていた旨供述し、法廷においては、右片岡に対して、年一、二回小遣いを与えていた、右竹村、右木村に対しては渡していない、と供述している。右双方の供述を総合してみても、いずれにしろ、被告人が同女らの与えていた小遣いは多額なものではないことが、明らかである。従って、この意味においても、同証拠は月に一〇〇万円、年にして一、二〇〇万円もの小遣いを出費する根拠としては不十分である。

(ホ)、なお、その他に、被告人は前記各質問顛末書において、同女らに対して、何回か買物をしてやったと供述しているが、これらはいずれも、特定の日時になされた特定の品物の買物に関する供述であり、こうした買物が日常的になされていることまで窺わせる供述ではない。従って、この意味においてもこうした買物が多額の小遣いを必要とする根拠とはなり得ないのである。

(3)、以上のように、いずれの意味においても、原判決が認定したような月一〇〇万円、年にして、一、二〇〇万円といった多額の小遣いを被告人が出費するだけの合理的な根拠は何ら存しないのである。

本争点を判断するについては、月一〇〇万円の小遣いを使うというふうに被告人が供述したのは、昭和五八年九月二〇日付質問顛末書からであり、同年六月三〇日付質問顛末書においては被告人は、月に二〇万円、年間二四〇万円の小遣いを使うとしか供述していないのであり、月に一〇〇万円の出費という供述は当初なされていた供述が変化したものであるということを看過してはならない。

すなわち、被告人において月に一〇〇万円の小遣いを出費すると言っているのはかならずしも一貫した供述ではないのであり、逆に月に二〇~三〇万円の小遣いという被告人の法廷における供述は全く唐突にされたのではなく、捜査段階においても同様の供述がされていたのである。

(4)、然らば、被告人はなぜ実際よりも多額の数字を供述したのかと言えば、先に「旅行費用」の項目で詳述したように、被告人においては自分の個人的な小遣いについても経費として認められるものと誤信し、売上げに合わせるように実際よりも多目に供述したものであり、被告人のこうした認識にも無理からぬものがあり、必ずしも不合理であるとは言えないのである。

(5)、以上のように、原判決には、本人小遣いについて事実誤認が存する。

(六)、事業主貸勘定のうち土地について

原判決においては、事業主貸勘定のうち「土地」について、昭和五七年八月一一日の土地購入の際、片岡笑香によって土地代金として一六〇万円が支出されているにもかかわらず、右土地の取得価格として、一、一六四万四、〇〇〇円全額を同年度中の事業主貸勘定に計上しながら、他方で、右一六〇万をこれから控除するか、もしくは事業主借勘定として別途計上するという処理をしていない。

原判決には、この点において事実誤認の違法が存する。

3、保証金について

収税官吏の池田洋一に対す昭和五八年七月四日付質問顛末書問三ないし問七及び収税官吏内野恭介作成の査察官報告書によれば、被告人と岩本省吾との共同店である理容オリンピアの賃貸借契約においては、差し入れられた保証金六〇〇万円に対して、解約の際、二割すなわち一二〇万円を控除する、すなわち一二〇万円を不返還とする旨の合意がなされている。従って、起訴にかかる各年度について、右の不返還分は六〇〇万円から控除して、残金四八〇万円(従って、被告人一人分としては二四〇万円)として、保証金に計上すべきであるにもかかわらず、原判決はこれを看過している。右の点において原判決には事実誤認が存する。

4、借入金について

収税官吏の被告人に対する昭和五八年四月三〇日付質問顛末書問三及び同年六月一七日付質問顛末書問三においては、昭和五六年頃、天王寺美容もしくは土地の購入代金として、第一勧業銀行藤井寺支店から約一、三〇〇万円の借入れがなされている、との被告人の供述がある。

従って、昭和五六年、昭和五七年の所得計算においては、もし右の借入金が事業資金としてなされたのなら借入金に、個人的な借入であるなら事業主借に計上すべきである。しかるに、原判決はこの点を看過して、いずれの処理もしていない。

右の点において原判決には事実を誤認した違法がある。

なお、右借入金の使途につき、被告人は天王寺美容もしくは土地の購入資金と供述しているが、これら両者とも資金の出所は、別のところであったと認められていることから、被告人には、借入の事実に関する記憶はあっても、借入金の使途については誤解があったものと思われる。従って、右借入金の使途については追って控訴審で明らかにしていく予定である。

二、原判決には量刑不当の違法があるのでその破棄を求める。

1、原判決においては、源泉所得税未納分、未納事業税、貸付金、事業主貸のうち義母小遣いの諸点について、被告人、弁護人の主張をいれて、逋脱所得額と逋脱法人税額、逋脱所得税額がそれぞれ相当額減額して認定されており、従って減額した部分については一部無罪となったものである。

かような無罪部分を起訴にかかる部分との対比でその割合をみると、まず、法人税については、昭和五四年度の事業年度において、起訴分が逋脱所得一、七〇七万四、四〇七円、逋脱税額五九八万四、四

であるのに対し、判決認定分はそれぞれ一、四五八万五五八円と四九八万六、八〇〇円、昭和五五年度の事業年度において、同様に、起訴分がそれぞれ一、五七一万五、六四四円と五六三万四、五〇〇円であるのに対し、判決認定分はそれぞれ一、二七二万九、二七六円と四三八万四〇〇円、昭和五六年度の事業年度において、同様に、起訴分がそれぞれ八四〇万九、七五六円と二五六万八、五〇〇円であるのに対し、判決認定分はそれぞれ五〇四万一、一八六円と一五〇万九、〇〇〇円である。これらを合計すると、起訴分が逋脱所得四、一一九万九、八〇七円、逋脱税額が一、四一八万七、四〇〇円であるのに対し、判決認定分はそれぞれ三、二三五万一、〇二〇円(無罪率二一・四八パーセント)と一、〇八七万六、二〇〇円(無罪率二三・三四パーセント)である。

また所得税については、昭和五五年において、起訴分が逋脱所得二、九二一万五、七五〇円、逋脱税額一、一七一万七〇〇円であるのに対し、判決認定分は、それぞれ二、八六七万五、七五〇円と一、一四一万三、七〇〇円、昭和五六年において、同様に、起訴分がそれぞれ三、三六九万六、一六四円と一、四三四万三、一〇〇円であるのに対し、判決認定分がそれぞれ三、三一五万六、一六四円と一、四〇一万九、一〇〇円、昭和五七年において、同様に、起訴分がそれぞれ六、九一二万四、一八一円と三、七四七万八、三〇〇円であるのに対し、判決認定分がそれぞれ六、七五八万四、一八一円と三、六四〇万三〇〇円であり、これらを合計すると、起訴分がそれぞれ一億三、二〇三万六、〇九五円と六、三五三万二、一〇〇円であるのに対し、判決認定分はそれぞれ一億二、九四一万六、〇九五円(無罪率一・九九パーセント)と六、一八三万三、一〇〇円(無罪率二・六七パーセント)である。

以上のように、原判決においては、公訴事実のうち相当の割合において一部無罪とされていることに鑑みると、被告法人に対する罰金刑が三〇〇万円というのは多額に過ぎるし、被告人に対する懲役一年六月、執行猶予三年という体刑も重すぎるといわねばならない。かような意味において原判決の量刑は不当である。

2、次に情状面からも、原判決における被告法人及び被告人いずれに対する量刑も過大にすぎ、不当である。

すなわち、まず本件犯行における脱税の様態であるが、法人税については公表店舗について売上げと給料を二分の一にして申告し、他の店舗については全く帳簿に計上しないという方法によるものであって、比較的単純な手口である。また、所得税のほうは、被告人名義による申告を全くしていないのであって、むしろ脱税の方法としては拙劣といってもいいほどのものである。従って本件犯行の様態自体はそれほど悪質なものとはいい得ない。

次に脱税の動機であるが、被告人は脱税によって店舗を拡大し、将来的に楽をしたいという気持ちから本件犯行に及んだのであって、動機において同情の余地がないわけではない。

さらに、逋脱金の流れをみても、被告人は京都府綴喜郡や四条畷の山林を購入しているものの、それ以外では一部少額の積立預金と定期預金があるだけであり、その他の大口の預金や株券、債権、宝石、貴金属といった形での財産隠匿はない。被告人が脱税によって得た金のうち、山林購入に充てた金員以外は全て既存店舗の営業資金か新規店舗の開設資金に費やされているのであり、余剰財産として残存しているものは多くない。

とはいえ、被告人が相当の期間脱税を継続していたことは事実であり、こうしたことから、本件査察と起訴に至るまでは、被告人の納税意欲や税負担の意識といったものには疑問もあったといわざるを得ないが、本件査察と起訴によって、被告人は脱税事実を深く反省し、納税意識に覚醒したことが明らかである。それを示すものとして、被告人は修正申告をし、未納の法人税、所得税、源泉所得税をそれぞれ完全に納付しているほか、重加算税については自己の不動産を担保にしたうえ、昭和五九年二月から月々三〇万円ずつ支払う方法で納付していくことで税務当局の了承を得、現在までその支払いを続けているものである。また将来については、現在存する店舗を全て法人組織にして真面目に法人税を申告していく旨、原審の法廷において誓約している。

量刑に影響を及ぼすべきかような被告人両名にとって有利となる情状面を考慮すると、脱税事件における過去の判例に比して原判決の量刑はいささか過大であったといわざるを得ない。以上

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